ヒカルの碁 完全版 20/小畑 健/ほった ゆみ | 集英社 ― SHUEISHA ―
1999年から連載されたヒカルの碁。
当時の子ども達に囲碁ブームを引き起こした名作です。
ヒカルの碁には様々な魅力があり、
個性的なキャラクター、練り上げられたストーリー、心に刺さる数々の名言、熱いバトル…
色々と語りたいことはありますが、
今回はヒカルの碁の作中に出てくるテーマが深いなと個人的に感動したので、それについて語ります。
※こちらはネタバレあり考察っぽい感想のため、原作全部読んでる人向けです
◆神の一手を極めるために
ヒカルの碁と言えば
「神の一手を極めるために」
というフレーズが有名です。
アニメでも歌の前に必ず入るほど、ヒカルの碁の中では重要なフレーズで、
平安の天才棋士藤原佐為が現世に蘇った理由が、もっと囲碁を打ち神の一手を極めたいというものです。
「神の一手とはなんぞや!?」と思うのですが、
要は、囲碁の世界でナンバーワンの神様のような存在になるのを目指すのが佐為の目的です。
(※純粋に碁を打つのが好きすぎるだけでもある)
物語を読み進めていると、ヒカルの成長を促しながら、
佐為自身が囲碁で最強を目指している物語というのがわかります。
実際、佐為は物語の中で最強格の扱いではありましたが、
塔矢のお父さん(塔矢行洋)も五冠の王者として、
佐為に負けず劣らずの最強の棋士として描かれており、
当時の読者は、「最終回付近では佐為が塔矢行洋に勝つか、塔矢行洋にまで勝てるほどの最強格に成長したヒカルと佐為の頂上決戦で終わるのではないか?」
といった予想がされていました。
そんな中、本編ではヒカルがまだプロに入ったばかりのとても早いタイミングで、
「佐為vs塔矢行洋」の頂上決戦が実現してしまいました。
そしてその戦いも、
頂上決戦の名に恥じぬ名勝負となり、
佐為が誰もが唸るような絶対の一手を決めて、
見事塔矢行洋に勝利!!
これで『佐為こそが最強!!』というのが証明された瞬間、
ヒカルがその試合の逆転の一手を見出しており、
それに塔矢行洋が気づいていれば実は佐為が負けていたという衝撃の終わりを迎えます。
この時に佐為は
「神はこの一局をヒカルにみせるために私に千年の時を永らえさせたのだ」
と自分が現世に蘇った理由を悟ります。
そう!
ここで、「佐為自身が最強を目指すのではなく、ヒカルの成長の為に佐為は存在していた」
つまりタイトル通り"ヒカルの碁"だったのです!
これは凄いな、この物語の主人公は本当の意味でヒカルであって、
神の一手もヒカルが極めていくのだなと思っていたら、
後のストーリーで桑原本因坊のじいさんが、
「知っとるか?碁は二人で打つものなんじゃよ。
一人の天才だけでは名局は生まれんのじゃ。
のう酒巻さん、等しく才長けたものが二人いるんじゃよ、二人。
二人揃って初めて神の一手に…一歩近づく。」
と言い残します。
ここで、原作者のほったゆみ先生がこの作品で伝えたかったテーマが読者にもわかってきます。
ヒカルの碁で本当に伝えたかったテーマというのは、
ある天才(主人公)が神の一手を極めるという明確なゴールのある物語ではなく、
ライバルと共に神の一手を追求し続ける
終わり(ゴール)のない道を歩み続けるという物語だと気づくのです。
さらに作中終盤では「何故ヒカルが囲碁を打っているのか?」という問いに対して、
『遠い過去と遠い未来を繋げるため』と答えます。
これは囲碁に限らず、生きている人皆がそうです。
「神の一手を極めるために」
から始まったこの物語は、
『遠い過去と遠い未来を繋げるため』
ライバルや仲間と切磋琢磨し、先人から受け継いだものを後世に伝えていく。
そんな人の普遍的なテーマを扱う
とても深い作品でした。
いかがでしょうか?
テーマ一つとってみても、
ヒカルの碁という作品の深さと美しさが伝わるのではないでしょうか?
ヒカルの碁は知れば知るほど奥が深い物語なので、
色々な角度から楽しむことができます✨